暇の潰し方

自分一人で時間を潰すことができる能力を「教養」と呼ぶのである。

って中島らもさんの作品の中で語られた言葉だそう。
http://melma.com/backnumber_121889_2234098/

こないだTwitterでこの言葉を見かけて「ほほう」と思ったのですが、この言葉で検索してみるとみなさん同じく「ほほう」と感じてらっしゃるようで。
はて、でも教養たる暇の潰し方とはどういうこっちゃろか?
僕は果たして教養による暇の潰し方ができているのだろうか?
と首をひねってしまいました。
Twitterでは、結局酒やギャンブルで無為な時間潰しに終始してしまうことが教養なき暇つぶしだといった意見を見かけましたが、それについては一理あるなぁという感想です。
では、ぼくは?
普段から長い電車通勤とかで結構暇してる時間はあると思うのですが、基本Twitter見たりWikipedia見たりばっかりであまり教養めいた暇の潰し方はできてませんね。
もうちょいまじめに時間の使い方考えないといかんぞーと、遠回しに言ってはるだけなのかも?とか思ってしまったりもなんですが、
しかしながら、せっかくなので僕も「自分一人で時間を潰すことができる能力」たる教養を得られるように人生見直してみようかなぁと思った昼下がりでした。
らもさんの言葉を読んでみると、「会社が毎日同じことの繰り返しであるならば、自分で自分に、自分が楽しみながら時間を過ごせる何かを用意してやる必要がある」といった旨が書かれているように思う。
そして、その裏には、たとえ好きだからと言ってもただ酒を飲んで酔っ払って寝てしまうだけではダメで、自分で自分を楽しませるための、「何か」を持つこと、自分自身と向かい合って、自分自身と切磋琢磨できること、すなわち教養である、と。
考え過ぎか。
しかしらもさんのこの言葉はいろんな意味でどっしりくるなぁとも(説得力とかとくに・・・

暇の潰し方といえば、
待ち合わせなどで早く着きすぎた時とか、街を行き交う人を観察したり、街中を散策して面白いお店や意外な光景との出会いに心ときめかすといった遊びをよくするのですが、街の一角にふとその土地の色が出てたり、ちょっとした歴史を垣間見たりといった意外な発見があり、非常に楽しいです。
得られた情報からいろんな妄想を膨らませながら、ニヨニヨしながら狭い路地に入ってお漬物屋さんを探したり、首輪をしている猫を見つけたりしてると、あっという間に時間も過ぎてしまいます。
この時間の潰し方も、「教養」だったりしてーーーと思いましたが、よく言って「才能」、普通に考えたらただの変質者でした。
だめだこりゃ

ところで、最初の方の「酒に云々」といったところですが、
お酒に関しては一概にはそうはいえなくて、お酒を嗜み、お酒にあう料理を味わってその風情を楽しむということは、まさに教養あっての楽しみ方だと思いますし、何事も行動から得られた経験。情報を自分自身にフィードバックして、反芻してまた次の暇つぶしに関連づける連鎖こそ、教養としての暇つぶしなんじゃないかなぁと思いました。
「なんとなく酒で酔っ払う」「ぼーっとパチンコ台で地蔵になる」のは、おそらく次の行動には繋がらないでしょう。
大抵、気持ち悪くなるか、財布が空になって後悔するだけで終わるはずです。
無為に過ごすとは、まさに。
酒でもギャンブルでもいいのですが、やはり次に繋がる暇の潰し方というものを極めたいものです。
難しいですが・・・先立つ物も必要ですしね(笑